2010年9月13日月曜日

「ツイッターを通じた心の交流」について

参照:「千代田線がストップ ツイッターで人々が慰め合う」 - 2010年9月13日(月)10時5分配信

ツイートはPCやスマートフォン等の画面上に表示される140字内の下記の様な文字列である。


  • 「千代田線のみんな元気?さぁ、どっちの到着が早いか競争だぞ!よーいドン!(その前にバッテリーが死ぬ)」
  • 「千代田船内(原文ママ)に残っているみなさん、綾瀬から先は順調です。今を耐えましょう。希望はすぐそこにあります」
  • 「さて、地元の北松戸にまもなく着きます。Tweetにおつきあいいただいたみなさん、本当にありがとうございました!人間の温かみを感じることが出来ました! bye-bye!!」
  • 「無事ついた。皆さん応援やアドバイスありがとうございました。先に降ります。まだ千代田線と常磐線の中の人がんばれ」
  • 「Twitterのおかげで心細くなかったです」
  • 「TLの不思議な連帯感で乗り切れました。ありがとうございましたw」


これらのツイートに「心の交流」を見るのは、何故か? 

これらが、bot つまり、ロボットによるツイートであるとしたらどうか?その様な教示条件の心理実験は可能である。その場合にも、被験者は「心の交流」をそこに見るであろうか?

これらが人間によるツイートであると信じているから、そこに、「心の交流」を見るのではないか?

ツイートから成る仮想社会(virtual society)に「心」を見るのは、その背後に、realな人間が存在すると信じている事が条件であるように思われる。その信念が崩壊するなら仮想社会の持つ実世界への効果も崩壊するであろう。つまり、仮想社会は幻想社会に成り得る。

「信念の固め方 - The Fixation of Belief」について再考してみよう。

C.S.Peirce: FIXATION,1877 (in Japanese PDF)

Belief and Embodied cognitionとの関係は如何に?

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